記念すべき兵器解説の第1回は、筆者の独断と偏見で、最近なにかと話題のレオパルト2に決定!それでは早速、解説していきましょう!
レオパルト2とは?ナニコレ強いの?【概要】
なにをもって「強い」とするか、定義はさておき、レオパルト2(以下レオ2)は冷戦真っただ中の1979年に登場した、第三世代主力戦車です。
時速70キロに迫る、重量比としては驚異的なスピートに加えて、強力な120mm戦車砲、当時としては画期的な複合装甲と、戦車王国ドイツの名に恥じぬ、走攻守のバランスがとれた傑作戦車であることは、疑いの余地はないでしょう。まさに戦車界の「これを買っておけば間違いない」ナンバー1と言って差し支えありません。
デビュー以来の約40年の時の中で、A0~A7と度重なるバージョンアップも重ねており、後述する世界中への輸出も含めれば、20種類近い派生型も有するベストセラー戦車でもあります。その数、欧州だけで約2000両というのですから、いかに人気かが分かるでしょう。名実ともに「欧州標準戦車」ですね。
では、その傑作ベストセラー戦車はいかに生まれたのか、追っていきます。
開発の経緯
時は1960年代中盤。当時、強力なワルシャワ条約機構軍に対抗すべく、分断国家となった西ドイツではレオパルト1(以下レオ1)の配備が進んでいました。しかし、急速に進化するソ連製戦車への対応として、既に120mm砲を搭載した戦車の開発が検討されていました。ただ、その計画はアメリカとの共同開発プロジェクト「MBT-70」を優先したために中止に。
しかし、その計画も試作戦車をアメリカと競わせる内にコストが増え過ぎて、1969年には頓挫。とはいえ、この時得られたデータが、ドイツではレオパルト2、アメリカではM1エイブラムスに繋がっていきます。
「MBT-70」計画の中止に前後して、ドイツでは改めて新型戦車開発計画がスタート。数々の試作を経て、クラウス=マッファイ社を主な製造メーカーとして、約1500両以上のレオ2が発注されるに至ります。初期量産型の最初の車両が納品されたのは、1979年10月25日のことでした。
スペック解説【攻撃力】
皆さんやはり気になるのは攻撃力、ですよね(笑) 筆者のように心の中に少年を飼い続けている読者の方々ならば、まず最初に気になるのが攻撃力ではないでしょうか。
実際、攻撃力はとても強力で、ラインメタル社製の120mm砲は、M829(120mm砲でよく使用される砲弾)を使用時は800mm近い鋼鉄の板を貫通する威力があるとされています。劣化ウランを弾頭に使用した、APFSDS弾というものを使えば、更なる威力が期待できるとされています。
このラインメタル社製の砲は同じくウクライナに供与されることが決まったM1エイブラムス戦車も採用していますので、今年から来年にかけて、戦場では120mm砲による素敵な「おもてなし」が見られそうですね。APFSDS弾は時速1700mの速さで突っ込んでくるというのですから、仮に筆者が戦場に赴くことがあれば、絶対に出会いたくないものです(汗)
スペック解説【防御力】
お次は防御力。RHA(=一枚の鋼鉄の板)換算で、徹甲弾に対しては700mm、成形炸薬弾に対しては1000mmに相当すると言われています。分かりやすい比較として、第二次大戦時の重戦車の装甲が100mm前後であったことを考えれば、最早比較にもならないと言えるでしょう。うーん、硬すぎる。
この硬さの秘密は複合装甲という、複数の素材をサンドイッチ状に積み重ねたものにあります。現代の戦車ではこの複合装甲が標準装備であり、先駆けて装備した戦車の一つがレオ2でもありました。
この複合装甲の形状はバージョンにより見た目が分かれています。A4まではストンと垂直な形状でしたが、1980年代後半に行われた改修により、A5以降は楔形の空間装甲が取り付けられており、それが見た目を判別する大きな特徴となっています。
スペック解説【機動力】
上述の通り、レオ2は機動力も抜かりありません。登場初期から多燃料型のディーゼルエンジンを装備しており、これは燃費も良く、騒音も少なかったと言われております。本記事でも比較対象として登場するM1エイブラムスが、原理的には航空機に搭載されるものと同等の、燃費の悪いガスタービンエンジンを搭載していたのとは対照的です。
何より、重量60トン級という西側MBTの中でもかなりの重量級に位置していながら、時速68キロと快足を誇っています。これは90年代に新開発のユーロパワーパックを装備したことで担保され、A5以降は装甲増加に伴い若干速度が低下しましたが、依然として時速60キロ後半の機動力は保たれています。
どうしてこんなに増えた?【輸出の拡大ときめ細かなサポート】
さてさて、途中スペックに注目しましたが、レオ2が傑作戦車とトップセールスを記録できたのは、何も強力なスペックだけではありません。その要因は、大きく分けて、以下の三つが挙げられるでしょう。以下、順に解説を続けます。
1:ゆとりをもった設計思想と絶え間ないバージョンアップ
2:戦前から続く「自動車王国、戦車王国」としてのブランド力
3:国際政治の変化に乗じた積極的なセールスと充実のアフターサポート
まずは「1」ですが、これはドイツがレオ2の将来的な改修を見越して開発していたことに起因します。レオ1しかり、ドイツは戦前から、開発した兵器を時々で適した改修を施し使い込んでおり、一定期間は陳腐化の波に耐えられるように設計する思想が伺えます。そのため、登場から40年という時間が経過しながら、最新バージョンはロシアの新型戦車とも渡り合える性能を今なお保持していると考えられます。
・A0~A4:初期生産及び量産型
・A5:楔形の中空装甲が追加。見た目が現在の形に変化。射撃管制装置も更新。
・A6:より強力な55口径砲へと換装。重量が62.5トンと60トン台に。
・A7+:2000年代以降の市街地戦、非対称戦への対応型。対戦車地雷への防御や各種監視(RWS)、通信(C4I)機能が大幅に強化。重量は67.5トンにも及び、足回りも強化。ドイツ本国ではRWSを省略した低価格版が採用。
・A7V:現状の最新型。化学兵器(NBC)保護システムの再配置やトランスミッションの改良で加速性能が向上。既に導入が始まっており、ドイツ軍では今後保有車両の殆どがA7Vに改造される。
そして、「2」に関しては、これも戦前からの蓄積が大きいと言えます。日本においても、外車で最も売れるのはドイツ車であり、フォルクスワーゲン社やベンツ、ポルシェ社が築き上げた「頑丈で長持ちする」というドイツ車に対するブランド力は集客において大きなプラスとなったと考えられます。これに、戦後にレオ1で開拓した市場の買い替え需要が追い風になったのは言うまでもありません。
最後に「3」ですが、改修型のA5が登場する頃には冷戦は終結しており、当のドイツ軍も大幅な軍縮を迫られます。そこで90年代の前半までに生産した、2000両近い余剰のレオ2は中古車として世界中に販売されることとなりました。それに飛びついたのが、旧共産圏を中心とする、欧州の中流諸国でした。彼らには高価な第三世代戦車を買う金も、一から開発する技術にも乏しく、第三世代戦車など夢のまた夢、でありました。そこに舞い込んだのが冷戦終結に伴うレオ2の安価での大量放出であり、買わない手はありません。それが現在、欧州を中心とした各国から、ウクライナに中古のレオ2が集結している一因でもあります。
なお、ドイツ側はこの放出を単なる在庫処分とした訳ではなく、買い手となる各国の気候や運用思想に合わせて、手厚いアフターサポートまで付けます。現地改修型やアップグレードキットの充実が、レオ2を一気に「欧州標準戦車」の地位までの押し上げ、NATO圏内の防衛力を格段に高めたと言っても良いでしょう。主な採用国としては、ポーランドやスペイン、ギリシャ、トルコ、フィンランド、スイス、スウェーデンが挙げられ、アジアではシンガポールやインドネシアも採用しています。
資金を提供するどころか、外貨まで得られて安全保障上も有利に働いたわけですから、一気に情勢が緊迫した近年までは、優れた決断であったと言えるでしょう。
まとめ
さてさて、随分と長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
・たしかな工業力に裏打ちされた強力なスペック
・絶え間ないバージョンアップ
・国際情勢の変化に乗じた巧みなセールスと充実のアフターサポート
こうした点が今日のレオ2の地位を築いたと言えるのではないでしょうか。
この気高い豹の牙がどれほど鋭いのか、我々はそう遠くない未来に知ることになるでしょう。その真価やいかに。それでは、第二回でまたお会いしましょう。