東葉高速線とは

東葉高速鉄道東葉高速線は、千葉県八千代市の東葉勝田台から、船橋市の西船橋駅を結び、東京メトロ東西線の中野駅、さらにJR中央緩行線三鷹駅まで乗り入れる路線です。千葉県内のベッドタウンからの通勤需要を担う一方で、その高額な運賃でも有名です。全線で16.2kmに対して639円(ICカード利用)という運賃は、乗り入れる東京メトロが、同じ距離で242円(同)なのと比べると、明らかに高額です。この高さは、建設時の経緯に由来します。

東葉高速線が高い理由とは?

東葉高速線の高額運賃は、簡単に言えば、土地価格が暴騰したバブル期に土地を買い、バブル崩壊後に開業することになったことが大きく影響しています。

第三セクターになった経緯

1972年の都市交通審議会答申第15号で、地下鉄5号線の延伸として計画され、1974年に営団勝田台線として建設が決まりました。しかし当時、競合する京成線の経営が悪化していたために、京成電鉄から反対されたことなどにより、沿線自治体、営団地下鉄・京成電鉄・東武鉄道・新京成電鉄の4つの鉄道事業者、および金融機関が出資する第三セクター会社によって運営されることとなりました。このため、収益源が東葉高速線のみとなりました。

建設の遅れ

1984年に建設を開始し、1993年の全線開業を計画していましたが、地権者の反対により用地買収が進まず、建設が遅れました。公共事業のために、正当な補償を条件に、土地を強制的に買い上げることが認められており、これを「土地収用」といいます。しかし千葉県では、成田空港建設をめぐる問題が原因で、収用委員会が機能せず、収用が行えませんでした。成田空港のための用地を収用するため、収用委員会の審議が求められました。これを阻止しようとした過激派が、1988年に、収用委員会会長を襲撃する事件があり、これ以降、収用委員のなり手が現れず、インフラ整備のための土地収用が行えなくなりました。このため、1994年になってようやく用地取得が完了しました。バブル期の土地高騰や、手抜き工事によりトンネル工事で事故が起こったことなども重なり、建設費は膨らんでいきました。

巨額の債務超過

結局1997年にまで開業がずれ込み、2948億円もの建設費は莫大な債務として残り、これを返済する必要から、運賃は高額なものになりました。利用客も増えた2010年度以降は、経常収支は黒字となっていますが、2020年度の長期債務残高は2415億円となっており、同年度で675億円に及ぶ累積赤字の解消にも長い年月を要します。沿線自治体での選挙などでも、東葉高速線の値下げは重要な課題となっており、実際通学定期の値下げなどが実現していますが、大規模な支援が受けられない限り、高額運賃の根本的な原因は解消しません。

東京メトロとの経営統合?

東葉高速線の値下げのため、東京メトロへの経営統合により、東京メトロと同じ運賃にするというアイデアは、沿線住民の間にも存在しており、現八千代市長の服部氏の政策の一つでもあります。もし実現すれば、東葉勝田台~大手町間は36.3kmで、現在の東京メトロの運賃では320円となります。しかし、東京メトロがわざわざ2400億円もの長期債務を背負う選択をするとは考え難く、実現困難であることは否めません。服部氏も、経営統合のために、東葉高速鉄道の経営状況の改善を行う必要があるとの立場です。

東葉高速線の停車駅

東葉高速線には、各駅停車・通勤快速・快速の三種類の列車種別がありますが、すべて東京メトロ東西線内での停車駅が違うのみで、東葉高速線内は全列車が全駅に停車します。

通勤快速は、朝ラッシュ時間帯に上り(西船橋・東西線方面)のみが運行されており、東葉高速線各駅、東西線西船橋と浦安、浦安以西の各駅に停車します。

快速は、朝ラッシュの上り以外の全時間帯で運行されており、東葉高速線各駅、東西線西船橋、浦安、東陽町、東陽町以西の各駅に停車します。

かつて運行されていた東葉快速は、東西線内は快速として運転し、東葉高速線内では、西船橋、北習志野、八千代緑が丘、東葉勝田台にのみ停車していましたが、2014年3月のダイヤ改正で廃止されました。

東葉高速線の今後

船橋市立医療センターを、東葉高速線沿線の海老川上流地域に移転し、米ヶ崎町に東葉高速線の新駅を設置する「ふなばしメディカルタウン構想」があります。東海神駅と飯山満駅の中間地点付近に駅を設置する計画で、2026年度末の開業を目指しています。請願駅として、船橋市が建設費を全額負担して建設します。

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